イラン・アフガニスタン


故郷アフガニスタンで安定した生活が実るまで(2007年までの活動)

street.jpg2001年10月から始まったアフガニスタン空爆、タリバン政権崩壊後の11月、NICCOは調査団を現地へ派遣しました。

当時のアフガニスタン難民への救援は、一般的にパキスタン側から行われていましたが、NICCOはイランから救援を行うことにし、イランの歴史都市マシャッド周辺に住む10万人近いアフガン難民の調査から開始しました。その後、2002年2月にはアフガニスタン第二の都市ヘラートで医療、教育、農業支援を開始しました。

故郷アフガニスタン復興への願い

afghan5.jpg2002年からアフガニスタンを退去する2007年まで、NICCOは現地の医療、教育、農業支援を行ってきました。 2007年以降、アフガニスタンは外務省による退避勧告地域に指定されているため、ヘラートに構えていた事務所とこれまでの事業は、現地のNGOに移行し、現在では識字・IT職業訓練事業をイラン・マシャッドから現地のNGOと連絡を取り合って事業を進めています。

これまでのように直接、現地と触れ合える状況ではなくなってしまいましたが、一日でも早くアフガニスタンの復興が実現し、人々に笑顔が戻ること願い支援しています。

1.医療支援

6人に一人の子供が1歳になる前に、また4人に一人の子供が5歳になる前に死んでしまいます。
さらに5歳未満の子供たちの約48パーセントが栄養失調で苦しんでいます。結核にかかる75パーセントは女性であるとされています。
そこでNICCOは、病院の改築や分院の建設、及びその運営の指導や監督を実施し、総合的な医療環境改善事業を行いました。ヘラートにあるゴルラン病院の全面改築や一般病棟へキャビネットや寝具の寄贈、設備整備と備品供給を中心とした支援を行いました。またその他に、結核治療プロジェクトを行い、現地医療スタッフを訓練し、結核患者がDOTS方式(直接監視下における投薬医療短期型)に基づいて薬を8ヶ月間欠かさず飲み続けられるよう支援を続けました。
この結果、支援患者の91.5パーセントが結核を完治させることができ、この比率はWHO(世界保健機関)がアフガニスタンで推進する結核治療プロジェクトの平均完治率86パーセントを上回りました。

2.教育支援

afghan4.jpg長年の内戦や武力攻撃により、アフガニスタンでは教育施設の不足が深刻化している事に伴い、NICCOでは校舎の改築や文房具配布、衣料配布などを行ってきました。

将来の農業復興の担い手となる若者が各地から集まるヘラート農業高校では、寄宿舎生活に必要な設備の不足を解消するために台所とシャワー室を建設し、さらにボイラーを敷設することで、ヘラート農業高校の衛生及び住環境の向上に努めました。

Afghan2.JPGまた、ヘラート中心部にあるカワジャ・タキ小中高校では、校舎の改築や貧困児童へ文房具や衣料配布を行いました。

2006年5月には校舎の増築を開始し、日本人専門家を派遣して日本の建築基準と構造計算に基づく耐震構造を備えた校舎が2007年1月に完成しました。完成した校舎は、ヘラート市教育省によって管理運営が行われています。

afghan6.jpgさらにイタリア大使館から建設費用を出資して頂いたファティマ女子孤児院が2007年5月に完成し、3階建ての建物に台所、食堂、洗濯室、トイレ、シャワー室などを備え、150名の身寄りのない女児が健康で快適な生活ができるようになりました。

また、2006年には女性の自立支援を目的としてヘラートに職業訓練校を開講させ、識字教育クラスの設置などを行いました。クラスを受講した女性からは、子供に読み書きを教えられるようになった、以前より自信が持てたなどの声が寄せられるようになりました。識字に加えて、算数、保健・衛生などの科目も同時に開講しました。

3.農業支援

afghan8.jpg住民の経済向上と地域緑化を実現するために、パーマカルチャーに基づいた現地の伝統農業文化を尊重した植林・家庭菜園プロジェクトを実施しました。
オーストラリア人のパーマカルチャー専門家を派遣して、ヘラート大学農学部の学生に実習を行い、試験農場や野菜苗、果樹や桑の苗木を育成しました。また、厳寒期の苗育成のためのグリーンハウス(温室)の建設をしました。
2003年からは、ヘラート周辺の村落部住民に果樹、ナッツ類の種や苗木の配布と育成指導を行ってきました。NICCOが苗木を配布する前までは果樹栽培には興味がなかった住民も、育成指導を受け、たくさんの果樹を採取できることの楽しみを覚えた住民の中には、自ら苗木を買い足して育てている者も出るほどになりました。