事業完了報告
2005年10月8日、パキスタン北部を震源としてマグニチュード7.6の地震が発生しました。その被害は死者7万3千人以上、被災者350万人とも言われ、パキスタン北部辺境州、カシミール州を中心として多大な被害をもたらしました。 NICCOは震災直後から、物資配給を中心とした緊急援助、厳しい冬の下での被災生活支援、春を向かえての復興支援と、約8ヶ月にわたり様々な環境下にある被災者の支援を行いました。 事業実施地域 : @北部辺境州バラコット市と周辺の山岳部 Aアザド・ジャンム・カシミール州ムザファラバード 全事業期 : 2005年10月13日〜2006年5月30日 事業の流れ[各事業報告へ] : @シェルター(テント)、防寒用品配給事業 [2005年10月〜12月] Aキャンプ・ジャパン[2005年12月〜2006年5月] □ キャンプ内事業: 医療、こころのケア、食糧、生活用品配給など □ モバイル事業: それぞれの場所で被災生活をおくる被災者へ ⇒ 巡回医療 「薬カバン片手に、訪問診療伺います」 ⇒ モバイル建築 「自分で建てる耐震建築学びませんか」
@シェルター(テント)、防寒用品配給事業 [2005年10月25日〜12月24日] NICCOは震災直後の2005年10月13日よりジャパン・プラットフォーム傘下団体のひとつとしてパキスタンに入りました。被災地での聞き取りを中心としてニーズ調査を実施、国連が主導をとった世界中からの援助団体との調整にも参加し、被害が最も深刻であったNWFP州バラコット市周辺を対象地域とし、緊急援助を行うことを決定しました。バラコットでは居住可能家屋は0%と言われ、被災生活の基盤となるテントのニーズが最も高く、また刻々とせまる冬に備え、防寒用品の配給を行うことを決めました。10月下旬からの2ヶ月半の事業期間中、刻々と移りかわる被災後の現場の状況を反映し、常にもっとも支援の届いてない被災者を意識した支援に努めました。 40kgのテント 冬の寒さや風に耐えるため、テントの上布は二重になっていたり、鉄棒を骨組みとしたりと頑丈な作りになっています。そんなテントは1つ40kg。トラックとの荷積み/下ろしだけでも一苦労なのですが、配給の対象となった山岳被災集落には小型トラックを用いてもテントを持ち込むことは難しく、住民に近くの配給場所まできてもらう必要がありました。自分のテントを運ぶだけでも大変なはずなのですが、女性、子どもだけの世帯があると、親戚や近所の人々が協力して運ぶなど、震災から間もない被災地でしたが、このような被災者間の助け合いに度々遭遇しました。 被災生活の中で また、11月のラマダン(断食月)明けのお祭りには、現地の文化を反映し、子ども達を中心として、お菓子やおもちゃ(風船、ボール)をプレゼントしたり、キスタン在住の日本人の方々(日本人会)からショールをご寄付いただいた際には、冬の訪れの早い山岳地の女性被災者に配ったりしました。 テントで風は防げても… 当初はテントと毛布を配給予定でしたが、冬が目前にせまった11月下旬、テント配布完了地域を訪問する内に、設置テント内には配布テントに含まれているビニルシートのみが敷かれている世帯がほとんどであることがわかりました。そこで、事業期間を延長するとともに、冷たい地熱が直接伝わるのを防ぐための断熱シート、ベッドマットレスを、それまでの配給物資(テント、毛布)に加えました。これら断熱シート、ベッドマットレスについては、NICCOがテントを配った世帯のみに限らず、政府や他団体等からテントは配給されていても、床に十分な断熱対応がされていない世帯も対象としました。 援助の穴 援助の届きにくい場所。被災直後にはトラックでのアクセスが難しい山岳被災地とされていました。しかし、道が開け、さらにヘリコプターの利用により、徐々に山岳集落へも物資が運ばれるようになりました。一方で、バラコット市内には、被災直後には病院に入院していたり、親戚宅で一時的に避難生活していた被災者が戻ってきたり、山岳集落から物資を求め家族ともども降りてきた被災者達が集まり始めていました。この時期には市内にはすでにある程度のテントが配給されたとされ、これら被災者は市内にいながらもテントもないことが少なくありませんでした。NICCOは被災者、被災地に近いNGOとして、このような動きのある被災者にも対応しながら配給を実施しました。 このページのトップに戻る↑
Aキャンプ・ジャパン 地震から2ヶ月近くが過ぎ、一時は生産が追いつかないほどだったテントもなんとか被災地各地にいき渡る目処がつきました。その一方で、山岳奥地の被災地では、テントやその他簡易仮設家屋で冬の寒さに耐えるのは難しく、また食糧やその他物資も山道が雪に埋もれては持ち込めなくなると懸念されていました。パキスタン政府はこれら被災者に対し、越冬のためのキャンプを平野部に設置するとの方針を打ち出し、これを受けて、ジャパン・プラットフォーム傘下の日本のNGOも協力して越冬キャンプの設営を担うこととしました。政府との調整の結果、アザド・ジャンム・カシミール州都のムザファラバードタンダリ村にてキャンプ・ジャパンを設営、NICCOもキャンプ開始から越冬後のキャンプ閉鎖まで、被災者の越冬を、そして復興第一歩を支援しました。 写真で見るキャンプ・ジャパン事業 このページのトップに戻る↑
キャンプ内事業 [2005年12月 9日〜2006年4月26日] キャンプ・ジャパンでは参加NGOがそれぞれ担当の分野/役割を果たすことにより、円滑なキャンプ運営がなされます。NICCOはキャンプの開始時には、@各地(40村以上)から集まった被災者のキャンプ住民登録、A住民が調理を行う共同調理場の設置、Bキャンプ生活開始にあたっての食糧や基本生活用品の配布を行いました。4ヶ月にわたるキャンプ運営時には、キャンプ内のC医療、D物資配給を担当。医療分野ではキャンプ内診療所の運営に加え、震災により心に傷を負った子ども達を対象の中心として、こころのケアを行いました。食糧や消耗生活用品(洗剤、石鹸など)の定期配給では、キャンプ住民に一定の生活レベルを確保する一方で被災者自身の購買力を促進するよう、配給物資品目、量に配慮した配給行いました。さらに、3月下旬からは、越冬後の被災者達が出身村にスムーズに帰れるよう、キャンプ・ジャパン参加団体との協力のもと帰還支援を行いました。 キャンプだけど、自分で生活 ―自活、復興を考慮した支援― 登録を終え、キャンプ住民となった被災者には早速食糧、基本生活用品が配布されます。防火、節水等のため、共同の調理場や水場を設置する一方で、キャンプとは言え、料理や、洗濯と、なるべく通常の生活と同じサイクルで生活を送ってもらうよう配慮されています。配給物品も生活(食糧も含め)の基礎となるものを提供し、被災者が援助に依存してしまい、春以降の復興の弊害にならないように考慮しました。 出身村、帰還路の雪解け等の状況を確認した4月から、帰還を希望する住民の帰還が始まりました。村に戻っても家があるわけでなく、ここから復興の始まりです。生活再建第一歩を支援するため、キャンプ生活で利用したテントやベッドマットレスとともに、食糧、生活用品等を応援パックとして、帰還する被災者達に配りました。 スポーツを通して、こころの健康 4ヶ月の間に、キャンプ生活開始から帰還まで、キャンプ住民はめまぐるしい生活の変化を経験します。そしてそれは子どもも同じ。震災の衝撃に向かい合う間もないまま、知らない場所でのキャンプ生活と、激しく移り変わる環境下で被災生活を送っていました。パキスタンでは精神的な病気(トラウマ、鬱等)は一般的でなく、メンタルヘルスケアに対して壁があります。そこで、NICCOはこれまでのイランやスリランカでの経験を生かし、子どもを中心に、スポーツを通してのメンタルヘルスケアに取り組みました。精神専門科医の桑山先生(NGO 地球のステージ)のアドバイスのもと、2回のサッカー大会とオリンピック(運動会)を実施しました。 毎日の練習の定期性や、新しいスポーツ導入による新鮮さ、練習を通して学ぶチームワークなど、多角的に子どもにアプローチします。また、間接的(イベント観戦等)に、参加者の家族や、キャンプ周辺住民等を取り込むことは、周辺成人にも少なからずプラスの影響を与えます。オリンピック練習〜開催時は、キャンプ住民の帰還期と重なり、キャンプ生活を通して友達になった子ども達は、それぞれの出身村へ帰らなければなりませんでした。「みんながどんどんいなくなってしまう…」、「家に帰るのはうれしいけど…」、そんなこころの病気のもとを減らし、さらには新しい復興生活での元気のもととなるような、みんなで作る楽しいスポーツイベントを実施することができました。 キャンプ地タンダリも被災地 キャンプが設置されたタンダリ村も被災地のひとつ。村の診療所は地震によって完全崩壊していました。この状況を受け、キャンプ内診療所では、周辺住民に対してもキャンプ住民同様の医療サービスを提供。さらに、4月のキャンプ閉鎖にあたっては、キャンプ内共同調理場の資材を再利用し、恒久診療所ができるまでの仮設診療所を建設。地方保険局らと、薬の確保、医療スタッフ、救急車の配置等の調整を行い、キャンプ・ジャパン閉鎖後も、地域被災者が医療サービスを継続して利用できるよう配慮しました。 医療事業補足報告書へ このページのトップに戻る↑
□ モバイル事業 キャンプ・ジャパンの運営を複数団体で分担することにより、各団体の得意(専門)分野での活動を可能にすると同時に、それらをキャンプ外での活動に広げるゆとりができました。 越冬キャンプが各地に設置されましたが、自分の村での冬越しする被災者も多く、そのような被災者への支援を可能にしたのが“モバイル(移動式)事業”です。動くNICCOチームが、土砂崩れや、車道の寸断をかいくぐりながら、様々な環境下で被災生活を送るひとびとのもとを訪れ、越冬、復興支援を行いました。 NICCOは、2つのモバイル事業を展開。キャンプ内での医療事業がパキスタン医療スタッフによって潤滑になされるよう進めると同時に、医療サービスの行き渡らない集落を対象に巡回医療を開始。また、雪が溶けた3月以降、山岳地で被災生活を送るひとびとを対象に、キャンプ・ジャパン参加NGOのひとつ、アジア協会アジア友の会(JAFS)と協力し、耐震性を備える簡易住居の建築技術移転を行い、住民による復興活動を支援しました。 このページのトップに戻る↑
⇒ 巡回医療 [2006年1月 25日〜2006年4月10日] 薬カバン片手に、訪問診療伺います NICCOモバイルクリニック(移動診療所)は9村にて開設。25回にわたり約700人の診察にあたりました。訪問村は、世界保健機関(WHO)のもと、各種医療団体の診療活動と重複がないよう調整をしながら、また村でのニーズ調査を行いながら設定しました。日本人派遣医師(3名、別時期)の活動期には、キャンプ内診療所でのパキスタン人医師の補完診療に加え、モバイルクリニックでの診療を中心に活躍していただきました。震災から3ヶ月経ち、地震が直接の原因となっている症状はありませんでしたが、悪い生活環境下では伝染病の蔓延や、風邪等が深刻化することも往々にしてあるため、それら状況をチェックすると言う意味でも、モバイルクリニックは大切な役割を果たしました。 ウルドゥ語で診察します 3ヶ月弱のモバイルクリニックに通して従事したのは、日本人看護師とパキスタン人女性スタッフの2名。イスラム文化をもつパキスタンでは、診療のためとはいえ、女性が直接男性(看護師)に話すのが躊躇されることもあります。そのため、キャンプ内診療所同様、モバイルクリニックでも女性のスタッフを必須としました。この女性スタッフは英語が話せたのですが、パキスタンでの活動経験をもつ日本人看護師もウルドゥ語(パキスタンの公用語)が堪能!そこで患者は、訳された言葉でなく、直接診断を理解することができ、より身近に感じることのできる診療を行うことができました。 このページのトップに戻る↑
⇒モバイル建築 [2006年2月 10日〜2006年5月30日] 自分で建てる耐震建築学びませんか NICCOがモバイル建築を展開したのは、標高2,000mを超える山岳村落8村。日本人建築専門家による予備調査を経て、雪が溶け始めた2月中旬より、候補地を訪問し、それぞれの被災状況の確認や、ニーズ調査、実施の詳細を計画しました。事業の計画から完了まで、@主体は復興に向かう被災者、コミュニティ、A村の大工職人を中心として、被災者自身への最大限の技術移転という2点を常に意識し、「住民による復興活動を、耐震技術の指導と、(調達の難しい)資材配給を通してサポート」しました。 事業開始にあたっては、事業の鍵となる住民/コミュニティの意識を確認するため、またNICCOはあくまで住民の復興活動をサポートする立場であることを理解してもらうために、繰り返し集会をもちました。また、“モバイル”とはいえ、NICCOスタッフ(日本人1名、パキスタン人スタッフ2〜4名、パキスタン人技術者3名)はサイト地に住み込み、ワークショップを通しての耐震技術指導、点在する村々、家々の建築状況を確認訪問しながら、導入耐震技術の確実な浸透に努めました。 憧れの家は壊れる家? コンクリート造りの2階建ての家。住民の多くはそんな家に憧れています。しかし、その見かけに強い憧れを持つがばかりに、基礎なし、軟弱な鉄筋でそんな家を建ってしまっていることも少なくなく、これでは小さな地震でも倒れてしまいます。今回の移転耐震技術は、身近な資材、建築様式、技法を最大限に生かした建築デザインを、日本人建築専門家の紹介を受けて提携した現地NGO カラバン(Karavan)の協力のもと導入し、容易に資機材調達ができ、技術的にも住民自身によって施工が可能となっています。今回は仮設家屋として、一室のみの建設を通しての技術移転を行いましたが、隣接して同様の部屋を増築していけば、耐震性、機能性ともに恒久家屋としても居住可能です。さらには、今後住民が、「憧れの家」を建設するような際にも、基礎作りや、壁の補強方法など、応用して同様の耐震技術を導入することが可能です。それぞれの復興に合わせ、移転技術が活用されていくことを願います。 モバイル建築の詳細報告書へ 協力団体KaravanのHPへ (英語のみ) このページのトップに戻る↑