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今回は活動期間中にNICCOスタッフたちが肌で感じたレバノンをお伝えします。
日本からはあまり馴染みのないレバノンの地での活動でしたが、今回の報告で少しでも身近に感じていただけることを願います。
アラブのIBMをご存知だろうか。よくアラブの人たちが、「アラブにもIBM(Intercontinental Ballistic
Missile:戦略弾道ミサイル)があるんだ」と、冗談のつもりで話してくれるが、今回ご紹介するのは弾道ミサイルの話ではない。アラビア語でIはインシャーラー(神が望むのならそうなるでしょう)のI、Bはブクラ(明日)のB、Mはマレーシュ(気にするな)のM、この3つの言葉の頭文字を合わせたのが今回ご紹介する『アラブのIBM』である。
もしあなたがアラブのとある国に住んで、家のトイレが壊れたとする。早速業者に連絡するが、直ぐに来てくれと言っても、「インシャーラー」の回答。「そうではなく、何時来てくれるんだ」と問えば、「ブクラ」。これを信じて、渋々明日まで待つことにするが、日が替わっても一向に業者は顔を見せない。電話をしても「インシャーラー」と「ブクラ」を繰り返すばかり。ようやく数日後に修理に来てくれるが、その遅い対応に烈火のごとく怒りをぶつけると、「マレーシュ」と言って、恐縮するでもなく、ボチボチと修理を始める。
このような経験は、アラブに住めば誰でも経験することである。
何故こんなことを述べるのかと言うと、少しでもアラブの人たちの日常感覚を知って欲しいからなのだが、実はこれにもう一つのB、バクシーシー(喜捨)を加えれば、アラブの人たちの感覚が、より鮮明に見えてくる。
バクシーシーとは、イスラム教の教えで信者が行わなければならない五つの善行の一つで、持てる者が持たざる者に恵むことで、より天国に近づくことができるというものだ。
レバノンでちょっとした街を歩くと、必ず物乞いに小銭をせがまれる。ここでちょっと善意を出して小銭を恵んだとしても、彼らは決して「ありがとう」とは言わない。私の知人で、「どうしてありがとう、と言わないんだ」と物乞いに喰って掛かり、恵んだお金を取り上げた者がいたが、これはやはりいき過ぎである。物乞いの言い分としては、「私があなたから恵んでもらうことで、あなたは天国に近づくことができる。あなたこそ私に感謝すべきだ」ということなのである。
この考え方は日本人には理解しづらい感覚であろう。しかし弱者(物を持たない者)が強者(物を持てる者)の助けを必要とするとき、弱者が強者にへつらうことなく、尊厳を持って接することができることも事実である。
レバノンの現場を回って仕事をしていると、気持ち良く感謝されることも多いが時に過剰なずうずうしさに接して、気分を害することも多い。しかしこれはアラブの人々にとってはごく普通の感覚であることを理解することも、彼らと仕事をする上で重要なことなのである。
とは言え、アラブ的感覚に接し続けると、知らず知らずにストレスを溜めていくものである。イスラエルとの国境線上に建つ学校を訪れたとき、帰路に着く我々の車にずっと笑顔で手を振り続ける子供たちがいた。この学校は小高い山の中腹に建っており、そこから歩いて20-30分で登れるであろう山頂には、眼下の学校を見下ろすようにイスラエル軍の陣地が立っていた。車中でパレスチナ人ドライバーのムニエル氏に、ちょっとやるせない気持ちをぶつける。アラブ的感覚に少々疲れ、苛立った感情が剥き出しになっていたのかもしれない。「俺だったら、こんな危険なところに建っている学校に自分の大事な子供を絶対に通わせない。彼らの親はいったい何を考えているんだ」。しかし期待した同意は得られず、逆にこの危険な状況に子供を置かなければならない親の気持ちを諭されてしまった。「彼ら(この地に住むレバノンの人々)は決めているんだ。死ぬ時は家族全員この地で一緒であることを。彼らはパレスチナ人から学んでいる。一旦故郷を追われると、二度と帰ることはできなくなり、徐々に徐々に死へと追い詰められていくことを」。子供たちの底抜けに明るい笑顔の、その裏側にある切なさを知った瞬間である。
ヒーターと幼稚園の教材・備品を大喜びで受け取ってくれた子供たちの心に、いつの日か本当の平和が届くよう、心より願いたいものである。
支援先の学校に通う子どもたち
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