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 イラン、アフガニスタン活動日記
  

 【2006年7月4日(火)〜7月10日(月)】
                                                                                     インターン 徳竹沙織

(7月10日現在アフガニスタンではヘラート市内の事務所を拠点に、スタッフの川口、インターンの徳竹の2名がイラン事務所兼任で活動しています。)


○2006年7月4日(火)
 へラート市内の大学で爆破事件があった。
最近アフガンでは毎日のように何か爆発事件が起きている。予定していたネイスタンへの調査を延期した。特に急ぎの仕事も無い状態になり、サイードやナセルと、このアフガンの現状について、話をし、彼らの気持ちを聞いた。
全てはアメリカの一国主義的干渉が原因に違いない,と改めて認識した。アメリカの軍が居座る限り、この紛争のような状態は永遠に終わらない。それが、彼らの将来への展望なのだ。気付いた事は、アルカイダにしろ、タリバンにしろ、彼らの文化を守りぬこうとしている。アメリカや、グローバリゼーションによる"資本主義化"、"民主化"の強請にも関わらず、自らの文化、習慣、価値観を守ろうとしていると。私はとても悲しくなった。日本はすでに、自らの文化、価値観を省みる余裕をなくしているのではないか。文化的に脱亜入欧。アフガニスタンは昔の日本人が大切にしていたように、家族、人とのつながりをとても重視する。もう少し、落ち着いて物事をきっちり見る余裕が日本人には必要だな、と感慨にふけってしまった。いろいろ考えすぎて、気分がめいっていた。それに気付いたのか、夕方ナセルとサイードが、「Lets go to (・・・へ行こう)」と。私は「to…??to…??(・・・へ?)」」 「to somewhere(ある場所へ)」とナセル。なんだか分からないまま、車に乗って15分ほどして着いた場所は、息を呑んだ。へラートが一望できる高台の場所だった。神秘的な風が吹き、遠方には沙漠、まばらに緑色、あちこちに伝統的建物。見知らぬ人がスイカを分けてくれた。気分がとても楽になった。ナセルは「anytime let me know if you want to go somewhere(どこかに行きたくなったら、いつでも私に知らせてください)」なんか、その言葉にとても感動してしまった。疲れていたのか、涙が勝手にでた。


○2006年7月5日(水)
 今日は、西部5村のうちのゴルワン村に行き、サフランの専門家に会いに行った。彼は、とても巨大なおじいさんで、手が長年の農業経験を物語っていた。サフランの専門家といっても、大学で研究していたとかではなく、長年、土作り、栽培、収穫、加工を自分の手で行ってきたという経歴の持ち主だからこそ、彼に頼むことにした。 
彼と一通り話しをつけた後、彼の知り合いのサフラン農家を尋ねた。そこは、サフランの球根を売ってくれる可能性があるためだ。しかし、広い!水も豊富に流れている!とても冷たく、きれいな水ではないか。そのガーデンはアフガニスタン有数の富豪が経営しており、大きな井戸を所有しているためだった。水が豊富にあるということはつまり楽園なのだ。その楽園だけを見ていると、アフガニスタンが沙漠の国だとは想像もつかない。
しかし、ほとんどの土地は水が無い。井戸を掘るには多額の金がいる(サイードの父親は3500$で)。金もない。ただ、豊富にあり、もてあましているのは、野菜、果物の種類と、農業技術なのだ。
 しかしそんな中でも、食にとても豊かさを感じる。全てがとても有機的で量も豊富にある。例えばメロン。バザールには常に山済み、店の屋根まで。大抵の人は平気で一日一つ平らげる。日本では、不可能。変に付加価値ばかりついた高級品。きれいでないものは、市場に出せない。1シーズンに一切れふた切れ(私の場合だが)。野菜もとても高くて、結局出来合いのものの方が安かったりする場合もある。日本、特に都会は食に貧しいと感じざるをえない。
  午後からタキ校に行き。モニタリングを実施。エンジニアSaif 氏はとてもまじめだ。


○2006年7月6日(木)
 サフラン栽培に必要な道具購入のため、三者見積りをとるため、ナセルと市場に出かけた。肥料の値段も調べた。化学肥料。ほとんどが有機栽培だというアフガニスタン、ただ、農家が貧しくて肥料を買えないということだが。しかし、今回のサフラン事業のサイトはとても乾燥していて、短期間で土壌をサフラン栽培に適応させることは困難であるため、初期投資として化学肥料を投入するという判断に至ったそうだ。持続性という長いスパンで見るより、現金収入という短期的見方の方が今現在必要とされているのだろう。理想と現実の違いを実感。
 とにかく、あちこちの店に値段調査に行き、シャベル、カマなどを見て回った。その帰り、オールドバザールを見せてもらった。これは日本の商店街のようなものだが建物がとても古い。興味深かったので写真をとった。


○2006年6月30日(金)
 休日、でも7時に起きる。一日中数学の勉強と本を読み続けた。テラスのような場所はとても過ごしやすく、じっとしていてもなんだか楽しかった。アフガンはとても果物の種類が豊富。今の時期はとてもたくさんあるという。2,30年前は今の2倍の種類があったそうだ。夕方、八百屋でスモモのような果物を購入。イランに比べると少し高いが、おいしかった。ガードのバシルが夕食を作ってくれた。私が買った、ジャガイモとトマトだけを使ってとてもおいしいアフガン料理を作ってくれた。オイルたっぷり塩たっぷり。うまみたっぷりだった。よる、バシルとずっとおしゃべりをした。風がつよく、心地いい夜だった。

○2006年7月7日(金)
アフガニスタンに来て2回目の週末。午前中は本を読み、お昼ご飯をガードのバシルが招待してくれた。アシャクと呼ばれる水餃子の料理だった。ゆっくり休むことができた。
 
○2006年7月8日(土)
休み。バシルとずっと話をしたり、本を読んだりした。
 
○2006年7月9日(日)
 
午前中、タキ校に行き、エンジニアの質問を受けた。

○2006年7月10日(月)
午前中、識字教室の隣の孤児院の天井の一部が落下したとの知らせを受け、見に行った。幸いけが人はいないようだ。ランチタイム、モモが家に招待してくれた。今まで一人ぼっちと感じたことが無いくらい、みんな優しくしてくれる。ガードのモモの家はとても伝統的佇まいだった。子供のころ、砂遊びをしたときに作ったような家。しかし、内装はとても整っていて、居心地がとてもよい。モモの子供は3人。一番したは、まだ生後何ヶ月かの赤ちゃん。子供の笑顔はありがたい。本当に癒してくれる。なぜだか分からないが、どの家庭に行っても、いつも食後は子供達と遊ぶことになってしまう。私がまだ子供なのだろうか。
 午後、ナセルに同行して、政府の農業課?に行った。そこには、へラート一の農園経営者がおり、約1時間、ずーっと彼の話を聞いた。もちろんダリ語なので、私は彼の顔を見つめることしか出来なかったが、時折涙を流していることに気付いた。あとで聞いたら、彼はアフガニスタンの農業に失望しているようだ。市場で売られる野菜の価格は、ゼロに等しい。国際市場経済の中での位置づけも皆無。適切な保存、加工システムが無い。消費者にとっては安いに越したことはないのだが。やはり、価格の保護などの体制が整っていないことを改めて実感した。


 

   
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